春風亭一蔵 独占インタビュー(1)

<はじめに>

初めて一蔵さん(当時、朝呂久さん)を聴いたのは、湯島のぎやまん寄席、ちょうど文菊師匠が当時まだ「菊六」で真打昇進直前の祝いの会だったかと思います。「一之輔・菊六 湯島天神ふたり会」。もちろん、その時のお目当てはお二方でしたが、その前座で出てきた噺家さんを忘れることはありませんでした。

 

頭が天井につきそうな大きなからだで、「趣味はダイエット、特技はリバウンド。チョロキュウと呼ばれたりするんですよ」などと言いながら客席を大いに沸かせ、「寄合酒」に入っていった人、その人が朝呂久さんでした。

 

横丁の乾物屋から棒だらを持ってきたり、数の子を持ってきたり、そのたびに笑いに包まれる客席。とても面白かった証拠に、こうして今でも細部まで深く記憶に残っています。あれから8年。8年越しのオファー。こうしてインタビューできて光栄に思います。

 


耳で落語を覚え、池袋で師匠に打たれて弟子入り。

― 落語家になろうと思ったきっかけ。出来事を教えてください。

 

僕はずっと長距離のトラック運転手をしていたんです。運転中は常にラジオで落語を聴いていました。そこでどんどん落語にはまりまして。それからは、図書館で落語のCDを借りては運転中に聴いて、借りては運転中に聴いての繰り返し。

 

一日7~8時間、運転する間、ず~っと聴いてるもんですから覚えちゃいまして。そのストーリーを。で、同僚に電話して「こんなストーリーの噺があるんですよ」みたいにしゃべってたら、もうそこで大きな勘違いが(笑)、「俺、(落語)できるんじゃないの?(笑)」みたいな。そこに行きついてしまって。それからですよ、生で落語というものを聴きたくなって、実際に寄席に行くようになりまして。

 

― トラック運転手をなさっていたのは何歳頃のことですか?

 

19歳から24歳頃までですね。(運転手の仕事を)辞めて、すぐ噺家になったので。直前まで(運転手の仕事を)やっていました。

 

― では、ずーっと走りながら落語を聴いていたのですか?

 

そうですね。辞める2年前から、ずーっと聴いてましたね。たくさん聴きました。多分、今までの人生で一番聴いていた時期じゃないでしょうか。談志師匠(※)、志ん朝師匠(※)。圓生師匠(※)は、もうとにかく眠くなるんで、やばいと思いながら聴いてたりして(笑)。小さん師匠(※)とか文楽師匠(※)、その辺ですよね。

 

立川談志(たてかわだんし):16歳で5代目柳家小さんに入門。伝統芸能であった落語を現代のエンターテイメントとして蘇らせた稀代の天才落語家。7代目立川談志。落語立川流家元。

古今亭志ん朝(ここんていしんちょう):3代目古今亭志ん朝。7代目立川談志、5代目三遊亭圓楽、5代目春風亭柳朝(一蔵さんの大師匠)と共に若手真打の時代『落語若手四天王』と呼ばれた。

三遊亭圓生(さんゆうていえんしょう):6代目三遊亭圓生。昭和の落語界を代表する名人の一人。3代目三遊亭円丈師匠の師匠。

柳家小さん(やなぎやこさん):五代目柳家小さん。人間国宝。10代目柳家小三治師匠の師匠。

桂文楽(かつらぶんらく):8代目桂文楽。「黒門町(くろもんちょう)」と呼ばれた戦後の名人のひとり。晩年、台詞を忘れてしまい絶句。その際、「勉強をし直してまいります」と深々と頭を下げて話の途中で高座を降りたエピソードが残っています。

 

CDは図書館に行って借りてました。当時は師匠たちの名前も何もわからないで聴いていましたから、適当に選んでは借りて聴いてを繰り返していました。「なんかこの話(同じネタ)を、違う人で聴いてみよう」といった気持ちはありませんでした。とにかく素人だったんで。「(演者が変わると、同じネタでも)どういう風に変わるんだろう?」みたい境地には、まったく行きついてないですね。ただひたすら、聴いてましたね。

 

― その時代に、最初に覚えたのは何ですか?

 

宿屋の富(やどやのとみ※)です。

 

― すごいネタから覚えましたね(笑)。

 

そうですよね(笑)。大好きだったんですよ。僕、談志師匠の「宿屋の富」が。あのサゲの感じが。客が草履を履いて寝ていたっていうなんてことないし、自分でもやるんですけど、全然ウケないんですけど、あのサゲってなんか、「はっ…はぁぁ!」みたいなこうなんか盛り上がって盛り上がってストン!みたいな、あれが好きで。

 

― (談志師匠の宿屋の富って)とても小気味好いですよね。

 

そうなんですよね。今実際に噺家になってみてわかるんですけど、場面転換が随分あって面白かったなぁって思って。やたら聴いて覚えたのがそのネタでしたね。逆に、前座噺とか全く知らなかったんですよ。CDに入ってないじゃないですか、前座噺なんて。「子ほめ(※)」とか「牛ほめ(※)」とか、噺家になってから知って、「あ、存在するんだ。こんな面白れぇ噺(笑)」って思って。 

 ― では、大ネタだけ聴いてた感じですか?

 

大ネタばっかりでしたね。「品川心中(※)」とか。懐かしいなぁ…。もう、あれ(トラック運転手時代)から10何年経つんですよ。早いですねぇ。ホント早い、怖いわぁ(笑)。

 

※ 宿屋の富(やどやのとみ):馬喰町の宿に泊まりに来た見すぼらしい身なりの男。実は大金持ちで金余りで困っているという。その男に宿の主人は富くじを買うように勧めるのだが…。

※ 子ほめ:仲間に赤ん坊が生まれたので、お祝いに行って、子供を褒めちぎって喜ばせて、ただ酒にありつこうとする男の噺。代表的な前座噺。

※ 牛ほめ:兄貴の佐兵衛が家を新築したと聞き、家の褒め方を教えて、息子の与太郎をそこに送りだす父親。ところが与太郎は…。代表的な前座噺。

※ 品川心中(しながわしんじゅう):品川の遊郭が舞台の噺。いわゆる廓(くるわ)話。お金の工面に困った女郎が心中相手に選んだのは…。映画『幕末太陽傳』のエピソードのひとつにもなっている。非常に長い噺で、前半部分だけを(上)として演じられることが多い。

 

― なぜ、一朝師匠をお選びになったのでしょうか。初めて一朝師匠をご覧になったのは、どこでですか。

 

池袋(演芸場)です。

 

― 池袋で初めて聴いた一朝師匠のネタは覚えてますか?

 

「片棒(※)」でしたね。そこで面食らっちゃったんですよ。「この人と一緒にいたい」って思っちゃったんですよ。昼席の、もう最初っからずっと(通しで)聴いてたんです。夜のトリだったんですよ、うちの師匠。初めて見たとき、背がこんぐらいしかないのに、スゲェでっかく見えて、この人に決めた!って。決めたといってもこっちが勝手に決めただけなんですけどね(笑)。

 

― それまでも、寄席はあちこち行かれてたんですか?

 

池袋演芸場だけ、何度も行っていました。いろんな芝居(いろんな人の主任興行)に行ってました。当時は、寄席は10日間興行ってことも知らなくて、「なんで、この人10日間も出るんだろう?」みたいに思いながら聴いていました。芸協(公益社団法人落語芸術協会)の芝居、落語協会(一般社団法人 落語協会)の芝居かも分かってなくて、だから昇太師匠(※)とか伸治師匠(※)が出てたのも観てました。志ん五師匠(※)とか。

 

春風亭一朝(いっちょう):5代目春風亭柳朝の総領弟子。キレのある口演で「江戸っ子」を演じたら右に出るものなし。歌舞伎や落語での囃子を担当する程の笛の名手。2020年3月 第70回芸術選奨文部科学大臣賞(大衆芸能部門)受賞。

※ 片棒(かたぼう):一代で身代を築いたケチの赤螺屋吝兵衛(あかにしや・けちべえ)。三人の息子のうち、誰に跡を継がせるか、自分の葬式の出し方を聞いて了見を知ろうとするのだが…。

春風亭昇太(しゅんぷうていしょうた):5代目春風亭柳昇の弟子。現在の『笑点』司会者。

桂伸治(かつらしんじ):3代目桂伸治。桂宮治さん他の師匠。

古今亭志ん五:初代古今亭志ん五。3代目古今亭志ん朝の一番弟子であり、5代目古今亭志ん生の最後の弟子。

 

その中で一番印象に残ったのが、うちの師匠なんです。「あぁ凄いな」って、ただひたすら「凄いな」って。からだは小さいのに、とても大きく見えました。

 

― なるほど。

 

なんかね、あの、もう、だからこれは奇跡なんでしょうけど、なんか吸い込まれてくっていうか、その時のネタは「片棒(※)」だったんですけど、若旦那はちゃんと若旦那だし、あのしみったれたおとっつぁんは、ちゃんとおとっつぁんで。後にも先にも、この日のような感覚になったことはないんですけど、うちの師匠がその喋ってる時に「スー」ってこう、なんつって言ったらいいか分からないですけど、なんかこう“持ってかれた”って感じでしたね。

 

― 噺の世界に引き込まれた?

 

はい。それであっという間に終わってました。笑って、笑って、笑って、笑って、なんかあっという間に。(そんときの師匠は)夜のトリ(※)だったんですけど、あっという間に終わって。

 

※ トリ:寄席で最後に出演する人。興行の主任。寄席では前の人とネタが被らないようにするのがルールなため、持ちネタをたくさん持っていなければいけない。

 

― 昼席から通しで(夜席まで居ること)ということだと、そうとう長い間、大勢の方の高座を見てたはずですよね?

 

そうとう見てたんですよね。多分、だから、その時の前座とかも見てたんでしょうけど、誰だったか分かんないすけど。全然覚えてないですね。うちの師匠がトリなので、(一朝)一門で出てたんでしょうけど。

 

― 「片棒」は、今(ネタとして)お持ちですか?

 

はい。持ってます。師匠から習った、あの「片棒」です。なんですけど、もうやりたくはないですね。どうしても一度だけ、ある会の企画で「この師匠の、このネタに惚れた」という企画で一度やりましたけど、もういいです。「片棒」は、うちの師匠の「片棒」なんです。個人的に思い入れが強いので、そんなに自分でやりたいとは思ってはいませんね。

 

― 最初はやっぱり断られたんですね?(弟子入りに)何度も通われたってことは。

 

「辞めた方が良いよ」とか、「よしときな」ってのは何度も言われましたね。でも何言われても、もう弟子入りするって決めていたので(笑)。もう必死でした。後に師匠から聴きましたけど、「絶対入門する!って決めてくる奴は、目と顔つきが違う」って言われました。だから、二回目ぐらいですかね、「もう、しようがねぇなぁ」ってなりまして。

 

「じゃあちょっと喫茶店行こうか、後日」って言われて。で、喫茶店でも「辞めた方が良いよ」ってまた言われるんですよ。「まぁ、今日は(仕方がないからこうして)コーヒー飲むけど、よした方が良いよ」って言われて。それでも「イヤ、もう(弟子入りするって)決めたんでお願いします」 「もうしようがないね」みたいな感じで。「じゃぁ、今度は親御さんを連れてきて」って流れになるんです。そんなんでしたね。

 


チラシ掲載の文章は、インタビュー記録からの抜粋です。全文は、ここでしか読めません。ぜひ、読んで感じて知ってください。一蔵さんの本音、素顔。そして「一蔵落語」。

 

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